(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞

講 演

2023年3月29日

第16回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞受賞記念講演

「アスリートとして経験し、研究者として叩き上げる」

町田 樹

町田樹
Ⅰ. 心からの御礼、そしてNobody賞との出会い

 この度は、第16回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」(以降、「Nobody賞」と略記)を授与いただき、洵にありがとうございます。また、本日このような盛大な授賞式を設けてくださり、なおかつ、お忙しい中多くの方々が、遠い処からもお越しくださいましたことにつきましても、重ねて心より御礼を申し上げます。

 実を言いますと、私はこのNobody賞に対して、長く憧れを抱き続けてきました。おそらく、私はこの賞の歴代受賞者の中でも極めて珍しい自己推薦による受賞者になると思います。ですので、まず最初に、なぜ私がNobody賞に自薦することになったのか、という経緯についてお話ししたいと思います。

 私がこの賞に出会ったきっかけは、ある一人の書き手でした。その書き手とは、外でもない、この場にもお越しくださっている武田砂鉄さんです。この話はまだご本人にもお伝えしていないので、もしかしたら驚かれているかもしれません。皆様もすでにご存知の通り、武田さんは2016年度第9回目のNobody賞受賞者で、いまなおご著作を次々に上梓し、出版界において大活躍されておられます。そのような武田さんとは、2017年にある雑誌の対談企画で出会って意気投合しました。それ以来、彼と私は互いの著作を謹呈し合い、感想を述べ合うという良き書き手仲間として、お付き合いをさせていただいております。
 勿論2017年に出会う以前から、武田さんの言論活動に注目していた私は、彼がNobody賞を受賞されたとき、「不思議な名前のアワードがあるのだな」と、この賞の存在を初めて知りました。それで、賞の名前だけでは何の賞なのかよくわからなかったので、主催者であるNPO法人のウェブサイトで早速調べてみたわけです。すると、賞の理念と選考方針が次のように記されていました。

 言葉でしか表せないものを語り、語り得ないものを言葉にしようと努め、試みる人、言葉を信頼しつつ、言葉の在ることを深く疑い続け、あるいは考えることや感じることが、その人の実人生の事実を超えて、言葉と一体化して在る人。語られる言葉の真実をこそ求めようとする、そのように在ることしかできないような、いわば、言葉と討ち死にすることも辞さないとする表現者のあり方こそ、顕彰すべき事態だと我々は考えます。
〔NPO法人(池田晶子記念)わたくし、つまりNobodyのHP「Nobody賞について」より引用〕

 この一文を読んだのは、私がフィギュアスケート競技者を引退し、研究者を目指すべく早稲田大学大学院に進学して間もない頃のことでした。賞の理念を読んだ途端、「なんと格好よく、粋で、出版界や著述家への愛が詰まった賞なのだろう」と、身体中に電流が走ったことをいまでも鮮明に覚えています。この時以来、「私もこの理念に沿うような書き手になりたい」と志すようになりました。

 しかしながら、その後アカデミアにおいて色々なことを研究し、先人たちが連綿と紡いできた様々な言葉に触れる過程で、私は次第にNobody賞が顕彰の対象とする書き手──すなわち「言葉の真実をこそ求め、言葉と討ち死にすることも辞さない表現者のあり方」、というものの真の重みを実感するようになります。
 というのも、世の中には「ペンは剣よりも強し」という真実の言葉があります。この21世紀になった現代においてもなお、真実を語ることがいかに困難で、時に危険をも伴うことであるか、私たちはロシアによるウクライナ侵攻でまざまざと見せつけられています。例えば、2022年3月にロシア国営テレビで戦争を批判したマリナ・オフシャニコワ(Мари́на Влади́мировна Овся́нникова, 1978- )さんというジャーナリストがいます。彼女は、わずか70文字ほどの反戦メッセージを記したプラカードをテレビで掲げただけで、罪に問われました。その後、彼女はフランスに亡命しましたが、いまでも命の危険があるとおっしゃっています。
 この出来事は、まさに「ペンは剣よりも強し」という言葉を象徴しています。プラカードに書かれたたった70文字の言葉が、権力者を脅かすのですから──。しかし、それと同時に、剣よりも強いからこそ、ペンを握り言葉を綴る者には覚悟が必要であったり、責任が生じたりする、ということもこの出来事によって痛感させられるのです。いまはただただ、ウクライナ―ロシア間の平和と、オフシャニコワさんの安全を願うばかりです。勿論、オフシャニコワさんだけでなく、歴史を振り返れば、文字通り命がけで言葉を紡いできた著述家がたくさん存在します。中には真実を書いて本当に命を奪われてしまった人もいます。大学院生の頃、そのような先人たちの存在を知り、私はNobody賞とは簡単に憧れてはいけない賞なのだと悟りました。

 実は、Nobody賞を授与いただきましたこの期に及んでも、「私はこの賞に相応しい書き手なのか」と疑ってしまう自分がいます。ただ一方で、私は2015年以来、この8年間、アスリートとして経験し、研究者として叩き上げた言葉で、「アスリートとは」あるいは「スポーツとは」なんたるかを社会に向けて発信すべく努力を重ねて参りました。そして、その集大成である『アーティスティックスポーツ研究序説』(白水社、2020年)と『若きアスリートへの手紙』(山と溪谷社、2022年)という二冊の本の執筆過程を通じて、「これからの自分の全人生を言葉にかける」という覚悟と矜恃を得ることができましたので、大変畏れ多いことではありましたが、昨年の10月に思い切ってNobody賞に自薦することを決意しました。

 ですから、今年の1月に伊藤實理事長から受賞決定の一報をお電話くださった時には、大変光栄に思うと共に、とても身が引き締まりました。改めまして、このような私を選出してくださいました伊藤理事長と選考委員の皆様に、深く感謝を申し上げます。この受賞を大いなる励みとして、言葉による表現の可能性を強く信じながら、これからも真摯に言葉を紡いで参りたいと、決意を新たにしております。

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