(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞

講 演

2024年3月27日

第17回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞 受賞記念講演

「暴力に抗して」

永井 玲衣

永井玲衣

小学生のときの林間学校を思い出します。なぜそうなったかは思い出せないのですが、ある夜、真っ暗な林の中を、友人たちと歩きました。闇が自分を侵食するほどの暗さでした。自分が溶けてなくなってしまいそうに感じられました。しかし、おそろしさに身をふるわせた友人が、わたしにしがみつきました。右腕をつかみ、わたしの顔をべろりと触りました。そこでようやく、自分の輪郭を確かめました。この経験でわたしは、わたしとしてはじめから存在するのではなく、他者によってようやくつくられるのだと、身体で理解したのです。

共に人々と哲学する場は、まさしくそのような時間でした。言葉をぶつけあうのではなく、わからなさに手をのばしあい、互いをうきあがらせること。あなたがいるから、言葉が生まれるという体験。問われるから、考えられるということ。聞かれるから、話せるということ。すべては受け身のかたちでおこなわれます。もちろん、異なる他者にふれることは、不快な経験でもありえます。おそろしさでもあります。なのに、わたしたちは、ひとりで考えるということさえ、他者がいないとできないのです。これは発見でした。「見る」ことよりもまず「きく」ことが目の前にありました。見るだけでなく、わたしは「よくきく」ことはどういうことなのか、知りたくなりました。

それから、他者に呼びかけられて、さまざまな場でひらく機会を得ました。そこで目の当たりにしたのは、ひとびとはつねにすでに哲学しており、誰もが問いを持っているという事実でした。わたしはずっと哲学は誰のものかという問いに対し、みんなのものであると、すがすがしく応答することができるのですが、それはあまりに無邪気だったとも思いました。そうではなく、わたしは、哲学は誰のものかという問いではなく、哲学は誰のものでなかったのか、という問いを立てなければならなかったのです。こんなにも、わたしたちは考えたいことがあって、問いがあって、ききあいたいことがあって、それなのに、それを妨げているものがある。哲学者自身の語りに、誰が出てこなかったのか。哲学という試みに誰が関係ないとされてきたのか。どのような言葉に、現場に、ひとに、状況に、哲学はないとされてきてしまったのか。その問いに応答するために、やはりわたしはきくこと、ききあう場をひらくことが必要になりました。でも、どうやって?

わたしたちには考えていることがあります。わたしたちには問いがあります。ですが、それを表現できる場が、はたしてこの社会にどれだけあるのでしょうか?

表現できる場、と、いま表現しました。表現がのびのびとからだをのばすことができる場は、ここなら表現できると思える場です。また、他者の表現をもっとききたいと思える場です。わたしは哲学もまた、表現だとかんがえています。考えたことを言葉にすることは、そのひとの独自の世界をひらく表現行為です。しかしそれは、繰り返すように、たったひとりで形作られるのではなく、対話という場で異なる他者によって引き出されるものです。そういう言葉は、決して明瞭ではありません。こわれやすく、あいまいで、途上のものです。ですが、いっぺんの詩のように、そのひとのとりかえのきかない言葉なのです。

表現できる場は対話的な場です。対話という言葉はいま、世の中に歓迎されています。ですが、おそれられてもいます。対話が重要と言いながら、対話をしたがらない社会にわたしたちは生きています。ぜひ自分の会社で対話の場を開いてほしいとわたしを呼び込んでくださった方が、自分は外から見ていると輪に入りたがらないことがあります。対話を研究したいと声をかけてくださった方が、実際に対話の場に足を運んだことがないと言われることがあります。対話をはじめようとすると、逃げられる席はどこか、逃げやすい場所はどこかと聞かれることがあります。わたしはこうした反応をさみしく受け止めながら、まったく否定することができません。対話が必要なのに、わたしたちは対話を恐怖しています。なぜでしょうか。

あるいは、対話は軽んじられ、馬鹿にもされています。たとえば政治の場では、対話は理想論であるとされ、「現実路線」と表される安全保障のあり方が選択されます。対話は夢見がちで、考えなしで、現実から目をそむけた、白々しいものだと思われています。何がそうさせるのでしょうか? また、わたしはこう問うてもみたいと思います。でも、わたしたちはそもそも、対話を試みたことがあっただろうか?対話をつくろうとしたことはあったのだろうか?と。

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