2023年3月29日
第16回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞
伊藤 實
この「わたくし、つまりNobody」賞は、NPOの会員が推薦した人物を受賞候補者とし、その中から、同じく会員で構成する選考委員会が選考して受賞者を決定しています。会員が推薦したという時点で謂わば「他薦」ということになるのですが、自分で応募してくる「自薦」の場合は、会員である選考委員の誰かが推薦することで、はじめて候補者として選考対象となります。今回、町田さんが「自薦」で応募されてきた際には、私が推薦人になりました。本日は、式の進行の関係で時間の余裕がありませんので、授賞理由の詳細につきましては選考会議に提出した私の推薦文を説明に代えさせていただきます。お手許の資料(※)に添付してありますので、駄文で恐縮ですが、お時間のある時にお目通しください。この場では、そこに書かなかったことをお話しいたします。
(※ 表彰式会場で事務局が配布した資料)
フィギュアスケーターという身体の表現者であった町田さんは、現役の時代から、「表現とは何か」という問いを持ち続けている人だと思います。そして引退後はスポーツ科学の研究を行ない、さらに一段と、表現とは何かを考え続ける土台として、著作権法の研究者となってゆくのですが、それは、私にはじつに合理的で当然の筋道であったように映ります。でも、そこには町田さんだからこその、たいへんな苦労があったのではないでしょうか。
一つは、町田さんは有名なスケーターでしたから、周囲の眼、という環境の苦労があったでしょう。そういう経歴の人が、突然、アカデミアの世界に飛び込んできたのですから、当初は、いくら頑張っても、アイドルアスリートの片手間仕事だ、と見られても致し方ありません。その視線を乗り越えるためには、必死に勉強して研究論文という成果物を示すしかなく、それまでは評価されることの無い、暖簾に腕押し状態の中での孤独な闘いの日々だったと思われます。引退後の数年間はインタビューや取材を一切拒否されていたことを、「アスリートの町田樹を殺す時間が必要だった」と後に語られましたが、そういう葛藤の時間を過ごされていたのでしょう。私の妻の池田晶子も書き始めてから四、五年間は同様の状態にありましたので、そのご苦労は、さぞ、たいへんなものだったとお察しするのです。
ですがその苦労は、さらに別の、より深刻で構造的な問題を抱えていたようにも思われます。それは、「表現とは何か」を巡って、フィギュアスケーターという身体の表現者だった町田樹を、言語表現者となった町田樹自身が書けるのか、という問題です。つまりそれは、「私とは何か」という問いを、私は本当に問えるのか、ということです。
ドイツ語に代表される、動詞に格変化があるインド・ヨーロッパ語族には「再帰動詞」という文法規則があります。日本語で「朝、私は起きる」と言うところを、「私は、私を起こす」という言い方になるのですが、では同様に、「私は、私を考える」と言う時、考えられている「私」と、考えている「私」は同じ「私」なのか、違う「私」なのか? 哲学的な命題は、いつもこのように円環的で、終わりのない問いの形をしています。それは、あたかも自分の目で、自分の眼球の裏側を見ようとするかのようです。
そういう堂々巡りに対して、デカルトという人は、世界のあらゆることを疑い、疑い尽くした結果、そうして「考えている私」”Ego cogito” だけは確かな存在だと気づき、「我思う、ゆえに我在り」と突破して、その後の考察を進めました。
同じことを池田晶子は、「考えている私」とは「誰でもない私」のことだ、すなわち、「わたくし、つまりNobody」なのだ、と言って、そこから彼女の哲学を展開してゆきました。
では、町田さんの場合はどうだったのでしょうか。「表現とは何か」と考えている町田樹と、考えられている対象としての身体表現者、実演する人だった町田樹との関係のことです。おそらく彼の中では、フィギュアスケーターであった町田樹を、一度、本当の意味で「殺す」ことによって、初めてそれを考察することが可能になったのではないでしょうか。「殺す」というのは、臨済が「仏に遭うては仏を殺し」と言うときの「殺す」で、しがらみを断つ、突き放す、他人事のように客体化するという意味です。平たく言えば、過去の栄光を、「ただの経験」と見做す、ということです。その過程を経ることで、身体の表現者であった町田樹を、言語の表現者としての別の町田樹が考察し、書くことが可能となった。過去の自分を「殺す」というのは、なかなか普通はできることではありませんが、町田さんにはその腕力と持続力があるのです。
そういう、町田樹さんでなければ経験し得ない一連の苦労があったからこそ、並みの研究者や学者には見えない世界が、彼には見えているのにちがいないと思うのです。たとえば、実演する人の権利は、著作権法のうえで、どこまで考えられるべきなのか、などの研究と検討にあたっては、実演した経験のある人でなければ見えない部分があるはずです。町田さんの前には、いま、未開の荒野が広がっていて、きっと、それを独自の腕力と持続力で、今後、切り拓いてゆかれることでしょう。私たちの社会が町田樹という研究者であり表現者である人を得た真価は、これから発揮されてくるのだと思います。
そうした、さまざまな期待と確信を籠めて、今回の第16回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞を受賞していただくことといたしました。この受賞が、町田さんにとって、これまでの時間と、これからの時間を見つめる機会となれば幸いです。町田さん、おめでとうございます!