(池田晶子記念)わたくし、つまり Nobody賞

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池田晶子の「墓」ができました!

このたび、当NPOの会員をはじめ読者の皆さまのお陰をもって、文筆家・池田晶子の「墓」が青山墓地にできました ( 2019年2月23日に完成、納骨 : 2月23日は池田晶子の命日です ) 。

墓の創設にあたっては、多くの方々から貴重なご寄付とご尽力を賜わりました。
まことにありがとうございます。あらためて心から御礼を申し上げます。

死の直前に、自ら考えた自身の墓碑銘「さて死んだのは誰なのか」を、作品「墓碑銘」として発表(『人間自身考えることに終わりなく新潮社 2007年4月刊に所収)した著者は、東京・深川のとある寺の墓石にその墓碑銘を刻みたいと念願していました。
しかし、この願いは叶うことなく、以後、都立青山霊園の抽選に挑戦し続けて8年、小さな墓所を借り受けるはこびとなり、構想と設計の歳月を閲した没後12年の今年、遂に、文筆家の企みは実現される時を迎えました。

彼女は、いったい何をしたかったのでしょうか?
きっと、墓という形の「作品」を発表したかったのだと思います。
作品「墓碑銘」のさいごは次のように記されています。
「楽しいお墓ウォッチングで、不意討ちを喰らって考え込んでくれる人はいますかね。」
生涯を通して存在の謎をめぐる思索を問い続けた著者は、人生のさいごに、問いの言葉を墓という形あるものに表現し、その謎めいた味わいを読者に届けようとしたのでしょう。
本のなかで、読者の精神の内で、書かれた言葉が発動しているのと同様に、人がその墓の前で立ち止まり、絶句し、考え込み、やがて笑い出す。
この著者の墓は、追悼や追慕の対象としてではなく、ひとつの著作物作品として、これから人々と出会ってゆくのだと存じます。

どうか皆さま、何かの折に、この変てこな「墓」にお立ち寄りください!

※ 画像をクリックすると、大きく見られます。


正面全景

正面全景

原稿用紙を模したアルミ合金製の鋳物扉を制作し、墓の顔としています。
中央に、作品「墓碑銘」の自筆原稿から転写した「さて死んだのは誰なのか」の一行を、浮き彫りで表現しました。
手前の円柱は休憩用の石製スツールです。
墓の本体部分は、大地震に耐え得るように制震構造で設計し、施工しています。

「本のオブジェ」

「本のオブジェ」

著者が愛していた「紙の本」を象徴するブロンズ製の本のオブジェを作り、墓石の頭に取り付けました。
本の右頁には、自著へサインした「考える」の筆跡を、左頁は、白紙のママに残してあります。
これを見る人の、いま考えていることが、そこには書かれているかもしれません。

墓誌

墓誌

墓の左側に墓誌が設置されています。
表側には、作品「墓碑銘」からの抜粋をステンレスに刻字しました(この刻字によって、鋳物扉の著者の筆跡も判読できるか?)。
作者名は「池田某」と表示しています。
墓誌の裏側には、墓に納まる者の本来の名前と、略譜が記されています。
もちろん、愛犬たちも一緒です。

奥付プレート

奥付プレート

本のオブジェの裏側に、この墓の履歴や各筆跡の出典と、制作者であるNPOの名称などを示すプレートを付けました。
つまり、「墓誌」と同様に、この墓では、裏側に回らないと固有名詞が見つからない仕掛けになっています。
その心は、「さて死んだのは誰なのか」。


青山霊園案内図