第2回 哲学甲子園

講評

「第2回 哲学甲子園」を振り返って

(表彰式における発表)

 選考基準につきましては『哲学甲⼦園』という名前の通り、哲学という観点から「考える」ということを最も⼤切な選考基準とし、どこまでも⾃分で考え、⾃分の⾔葉で書いたと感じられたものを優先としました。 応募総数181作品の中で、⽂章として魅⼒的な作品も多くありましたが、「うまく書けている話」や「綺麗にまとめられた話」ではなく、また、その⼈の意⾒や主張ではなく、⾃分が考えた筋道をそのまま書こうと努⼒している作品を選びました。 たとえ論理が破綻していたとしても、考えている⾃分を⿎舞し、その⼈だけの⾔葉で考えているものの中から、特に優れたと感じられた作品を選ばせていただきました。

 2回⽬の開催となった哲学甲⼦園ですが、昨年に⽐べ応募作品全体における内容の質が格段に上がり、選考に多くの議論と時間を要しました。 このことは当法⼈にとって⼤変喜ばしいことであり、本を読まない世代と⾔われていることを疑うくらい、若い書き⼿の意欲を存分に感じ取ることができました。 哲学甲⼦園の応募資格は中学⽣から25歳以下です。 全ての応募作品を通して今の若い世代の空気感や問題意識を知ることができるというこの経験は、私たち⼤⼈にとって⾮常に有意義なことであり、そしてこれからの新しい書き⼿に対しての希望や期待を感じざるを得ません。 この場を借りて応募してくださったすべての書き⼿の皆さまに感謝申し上げます。

 今回、最優秀作品を受賞された⼭崎優仁(やまさき・ゆうじん)さんは作品の中でこう書いています。 「私の存在を⾔葉⼀つで表させてはいけない。 私は私が何者であるか書けない。 なぜなら⾔葉は私を表すのに不⼗分だからだ」。

 ⾔論に対しての規制がますます強まっているこの現代社会では、⼈々が向ける他⼈へのその厳しい視線を通して、⾔葉に対しての信頼性の⾼さを窺うことができます。 ですが、⼭崎さんのこの「⾔葉は不⼗分だ」ということの意味も同時に考えていく必要があるのではないでしょうか。 不⼗分な⾔葉だからこそ、⼤切に扱うだけでなく、その⾔葉の本当の意味や限界を知り、他⼈ではなく⾃分に向かって厳しく問いかけ、⾃分の⾔葉で考えて抜いていくこと。 これから先、時代がどう変わっていこうとも、⼭崎さんのこの「⾔葉は不⼗分だ」という問いは、私たちにとっても⼤切な問いかけなのではないかと思います。

 「驚き、そして考える」ということは、池⽥晶⼦によれば哲学の始まりであり、その根幹でありました。 NPO法⼈ わたくし、つまりNobodyはこれからも皆さんの新鮮な気づきと、それを考え、書こうとする作品の応募に期待しています。 この度は本当におめでとうございました。

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