第2回 哲学甲子園 受賞作品

佳作

「勘える」 池浦 俊暢 氏(17歳)

 私は「勘」という言葉が嫌いだ。哲学から最も遠いところに位置しているからである。世の中には、勘があふれている。野生の勘、女の勘、長年の勘……どこもかしこも勘だらけ。勘で動くような人々は考えていない。人類の長い歴史の積み重ねで手に入れた巨大な頭脳は、人に知性を与え、人が思考することを可能とした。考えることは人類の発展の歴史の一端を担ってきたものであるのだ。そんな素晴らしい器官を持ちながら、勘などというものに思考停止で自分の行動を決定させるのはなんと哀れなことだろうか。

 私は「勘」という言葉が嫌いだ。哲学する人を侮蔑するものだからである。私はトレーディングカードゲームを始めた。友人たちとの円滑なコミュニケーションのためである。友人と盛り上がれる共通の話題が無ければ、私は学校で孤立し、休んだ授業のノートを見せてもらえず、体育の授業で二人組になってくれる人がいなくなってしまうからだ。友人たちは教室の隅で常に脳を動かしている私によくこんなことを言ってきた。
「ノリ悪いな。勘でも人生何とかなるぞ」

 私は「勘」という言葉が嫌いだ。勘に頼って動く身近な人々の功績に、嫉妬してしまうからだ。常日頃から、自分の行動の理由を言語化できるよう、行動のたびに私は考えている。脳の使い過ぎで疲れたのか、私は娯楽を欲していた。カードゲームは、勉学と思考に励み続けていた我が頭脳には劇薬だった。一対一の知力の勝負。頭で勝つことの素晴らしさを教えてくれた。ある時私は試合に負け、対戦相手はこう言葉をこぼした。
「この局面で攻撃すれば、あなたに勝てる。そんな勘が当たりましたね」

 私は「勘」という言葉が嫌いだ。根拠もないくせに人に危険を知らせたり、人を成功に導いたりするからである。次の全国大会に向けて、私が戦術を練る中で、何か勝利へのヒントはないかと羽生善治九段の『大局観』を読むことにした。その後、私は全国大会でベスト8まで勝ち進んだ。勝因は勘だった。羽生九段は語る。
「勘の七割は当たります。ですから、信じていいのです」

 私は「勘」という言葉が嫌いだ。嫌っているのにしつこく、私に勝利をもたらしてきた。このカードを今使えば勝てるという勘があった。この局面で攻撃をしたら苦しい展開になるだろうという勘があった。後一手で詰み、という状況をひっくり返せるという勘があった。すべて当たった。勘で勝った試合を何度思い返しても、最大の勝因はこの行動をすれば勝てる、という勘に基づいて行動したからであるとしか説明できなかった。

 勘の正体とは何か。その答えは、突然、頭にひらめいた。勘についてひとしきり悩んで一月ほどのとき、インスピレーションが私を襲った。勘は、考えた経験が生み出す、本能である。脳は常に情報を処理している。そのすべてを声に出して説明することが到底できないほどの。脳の中にはあらゆる経験や知識、記憶が無数に格納されている。それらは、随意的に取り出そうと思ってもなかなかできないことがほとんどである。強いて言葉にするなら、「思い出せない記憶」だろうか。この思い出せない記憶は、人間が脳を動かすたびにたまっていく。生きている限り、増えるものだ。この記憶は普通、思い出せない。しかし、ごくまれに思い出すことができる。この思い出す瞬間。これが勘なのではないか。

 勘として呼び出された記憶は、ごく単純なことしか教えてくれない。「今勝てる」「これをしてはならない」それぐらいしか喋らない。勘に根拠なんてない、本当にそうか?

 思い出せない記憶、それは私たちの意識していない経験である。ここから急に勘が生まれ、私たちの意識を殴ってくるのである。勘の根拠は経験である。一つのことを繰り返すことでそれに特化した経験がどんどん身につく。何かにただひたすら打ち込めばその分だけ、経験が勘に進化できる可能性が上がるのではないだろうか。そして勘に進化できる経験は、意識の外で手に入る。なぜなのか?

 我々は、生きている限り、考え続けているからなのではないだろうか。意識、無意識にかかわらず、情報を常に収集する。時刻は何時であるとか、あの女性は黒い服を着ていて、ベンチに座っている男性はスーツを着ている。意識していないだけで、そんな情報の大群を脳一つで捌く。この意識外の情報処理も、考えていると言えるだろう。そうやって考えて、経験が生まれ、それが進化して勘となるのではないか。勘の源は思考であったのである。

 さて、考える。これはかんがえると読む。そして、勘える。これもかんがえると読む。
 また、勘考という言葉がある。意味はふたつの「かんがえる」と同じだ。
 勘は意識の外で、考は意識の中で、「かんがえて」いる。
 我々が脳を動かす時、そこには勘考があるのではないだろうか。

 私は「勘考」という言葉が好きだ。人間の源だからである。
(いけうら・としのぶ)