第1回 哲学甲子園 受賞作品

優秀作品

「人間万華鏡」 葉山 裕奈 氏(17歳)

 人は万華鏡のようなものだ。そう思うようになったのはいつからか、それはもう覚えていない。しかし私は、自分がただ一人であると思えなくなっている。もちろん実態として”わたし”であると証明するものは1つしかないだろう。それは将来顔の形を変えたとしても、私の体は1つだけだ。しかし、他人から見た”わたし”はどうだろう。
 母はわたしをよくわからない人だと言う。友達はわたしをいい奴だと、そして、一度大きな喧嘩をした彼女は最低な奴であると言った。これは私が思うわたしも同様にそうだ。成功をしたときは自分をすごいやつだと撫で、失敗をすればなんてだめなやつなのだと憤慨する。結局のところ、私自身もわたしをはっきりとした形ではとらえられていないのだ。その瞬間、発した言葉、振る舞い、によって”わたし”は簡単に形を変えてしまう。そんな人だとは思わなかったと、いつかの日にそんなことを言われた。その人はきっと、きれいなわたしからどろどろとしたわたしに万華鏡を回してしまったのだと思う。なぜなら、私はその人に対して何一つ行動を変えようとはしていなかったからだ。この経験は少なからず誰にでもあるのだろう。友達が、恋人が、家族が。ある出来事を境に自分から離れていってしまう。まだ学校という小さなサークルの中にいる私でさえ味わったことがあるこの悲しさを、何度人は乗り越えなければいけないのだろうか。そう思うだけで、明日が来るのが少しいやになってしまう。しかし、万華鏡は不変のものではない。自分を磨けば磨くだけ美しく、そして新たな面を生み出す。長所を伸ばして増やしていけば、それだけ誰かに好かれる面も増えていくはずだ。だからこそ、私たちは前に進んでいくのだろう。どんなに苦しいことがあっても美しいものが離れてしまっても。新たなわたしを見つけるために。そして、変わっていく自分を見るために。

選評 ▼

◆哲学的思考からスタートしたのに、後半は「いい話」になっているのが惜しい。もっと自分を見つめ続けてほしい。
◆「わたし」を超え出て普遍に触れてしまった驚きと畏れをていねいに見つめているところに好感をもった。後半きれいにまとめてしまったのは怖じ気づいたのでしょうか。その畏れを手放さないでいてください。
◆「私」を見つめる「私」、という視点をつかまえようとして頑張っているのが、作者の素晴らしいところです。未だそれを徹底することができないので、さいごが自分自身に弁解するような「良い話」になってしまったのが惜しい。自分を突き放して、どこまでも考えてゆきましょう。