(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞

講 演

2026年3月27日

第19回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞 受賞記念講演

「個人を愛し、憎むために」

伊藤 亜和

伊藤亜和

 少し前、横浜で行われた第9回アフリカ開発会議において、JICAから「アフリカ・ホームタウン構想」なるものが発表されました。内容は愛媛県今治市をモザンビーク共和国、千葉県木更津市をナイジェリア連邦共和国、新潟県三条市をガーナ共和国、山形県長井市をタンザニア連合共和国のホームタウンとして認定し、交流事業を通して、各国との交流を強化するというものでした。SNSではこの構想に関するさまざまな憶測が広がり、正当な賛否や意見とともに、アフリカの人々に対する差別的な認識や意見が、すさまじい勢いで溢れかえりました。「野蛮人は日本に来るな」「黒人は知能が低い」「日本の女がアフリカ人に奪われる」ここでは言えないような、もっとひどい言葉も次々とタイムライン上に連なって流れていました。中には自身のルーツがアフリカにあるにもかかわらず、差別者を進んで先導するような人たちも見受けられました。「実際にナイジェリアで暮らしていた人がそういうのだから、この人の言っていることは正しい」そう思われても仕方がありません。私はほとんど日本から出たことがありません。私が「そうではない」と叫ぶよりも、実際にその国を見てきた人が「そうだ」と叫ぶ方が、真実とされるのは当然のことだとも思います。しかし私は、そんな大きな主語のもとに下された評価よりも、どうしても個人の物語を信じたいと願うのです。

 私の父は、30年以上も前に日本にやってきました。父は普段は優しいながらも短気な性格で、怒ると誰も手が付けられない、あげくに警察を呼ばれるような暴れん坊でした。私は心のどこかで、父の国の人々はみんな、父のように恐ろしい人なのだと思っていたと思います。ところが大人になって、父の同郷の知人と話す機会があったとき、その人は私に、少し困ったようすで「あなたのお父さんは、暴れ馬なんだよ」と教えてくれました。そこで私はおそらくはじめて、これは父の問題なのだと知りました。日本語では満足に解り合えない父を、私ははじめて、個人として認めたのです。父には名前があり、人生があり、そこで積み重ねてきた、どうしようもない欠点があるということを、私はきちんと知ろうとしていませんでした。私と父は、つい最近まで絶縁状態にありました。父に反抗した私に、父がチョップを食らわせ、それに私が飛び蹴りで手迎えをしたことにより、警察沙汰の大騒ぎになったためです。この時のことを書いた「パパと私」という一篇は、SNSで大きな反響をいただき、私が文筆業を始める最初のきっかけになってくれました。気になる方はぜひ読んでみてください。そういうわけで、父と私は10年間顔を合わさず過ごしてきました。そして去年、私は結婚をきっかけに父と連絡を取り、久しぶりの再会を果たしました。私の記憶の中よりずっと老い衰えた父を前にして、私は10年の重さを知りました。父は嬉しそうに私を抱きしめ「大きくなったね」と言いました。10年前の私はもう大人で、大きくなったというのはきっと背丈ではなく、心のようすのことだったのだと思います。相変わらず自分の話ばかりする父には変わり在りませんでしたが、あの頃よりずっと静かで穏やかな父を見て、人は安易に弄ばれる属性に囚われず、自分の人生の中で、確かに佇まいを変えていくことができる生き物なのだと学ばされました。

 今、変わっていく世界の中で共に生きていくため、私たちはなにをするべきなのでしょうか。人の一生では、どうしても今生きているひとりひとりと言葉を交わすことはできません。そうするには、人生とはあまりにも短いものです。私たちにできることは、ただ自らの周りにいる人たちから、決して目を背けず生きていくことだけです。私は決して、そのすべての人間を愛するべきだとは考えません。私たちはときに愛し合い、ときに憎み合うのです。愛し合い憎み合うために、相手を知ることをサボらなければ、誰も世界から消えはしないのだと私は思います。それと同じように、私は美しい言葉も、そうでない言葉も、全ての言葉を愛せるように努めていきます。大切なのは、それが誰かの顔を思い浮かべて生まれた言葉であるかだと、私は信じています。

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