(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞

講 演

2026年3月27日

第19回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞 受賞記念講演

「個人を愛し、憎むために」

伊藤 亜和

伊藤亜和

 この度は、第19回「わたくし、つまりNobody賞」という、大変栄誉ある賞をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。また、本日お越しくださった皆さまおひとりおひとりにも、改めて御礼を申し上げます。

 最初の本を出版して、まもなく2年が経とうとしています。文筆業をはじめてまもなくこの賞のことを知り、それからずっとこの賞に見合う仕事をするために書いてまいりました。まだずっと先のことと考えておりましたが、この度賞をいただくことになり、意気揚々と自薦の書類を送っておきながら果たして私がこれに値するのかと、今も少し戸惑っております。私はずっと、日本語とともに生きてきました。多くの人たちと同じく、私も日本語以外の言語を知りませんので、当たり前のこととも言えます。しかし、常に「日本人かどうか」を問われ続けた私にとっては、ときにそれが呪いのように、自信を歪ませることもありました。それは愛情とは言えない執着であることもあれば、居場所のないことに対する復讐心になる恐ろしさを纏っていたことも、あったと思います。しかし、こうして言葉を尽くして本を書けたこと、そしてそれを多くの人々に読んでいただけたことは、私にとって自分が、なんの裏表もなく日本語を愛することのできた証である、とも今は感じています。改めて、本当にありがとうございました。

 普段は文筆業に加えて、テレビやラジオなどでもくだらない話を思い付きのままお話しさせていただいておりますが、こうして改まった場で、恰好をつけてお話をさせていただくのは、どうにも生来得意なことではありません。加えて記念講演などという立派なタイトルをつけていただいてしまったことにも、大変恐縮しております。私は研究者でも、哲学者でもありません。思いついたことを唐突に話しはじめてしまう癖もあり、もしかしたら全く関係ない話を始めたまま、予定の着地点に帰ってこないことすらあり得ます。こんな私が、なにかを知っているように皆さまにお話しすることは、不遜なことのように思いますので、今日はあまり背伸びをせず、なるべくいつも通りにくだらない話をさせていただくことをご容赦ください。

 私は、横浜の海沿いの町に生まれました。観光地に囲まれながらも不便で、船で運ばれてきたコンテナが積み木のように置かれている静かな町です。祖父母と両親、そして2匹の猫と共に、決して裕福ではありませんでしたが、大切に育てられたと記憶しております。私の父はアフリカの西の端にある、セネガルという国の出身で、私の亜和という名前は、セネガルの一般的な女性名に習ってつけられました。アダムとイヴのイブが大陸を越え、宗教を越えて、アワという発音に変化していったのだそうです。私は物心がついてすぐに、自分が他の子どもたちと違った容姿を持っていることに気がつきました。こげ茶色の肌は、幼稚園の黄色い園服からはっきりと浮いていて、園庭の砂が着いた脚は、粉を吹いたように白く乾いていました。とはいえ、それが私をとてつもなく暗い気持ちにさせていたかというと、そういうわけでもなく、容姿や家族のせいでいじめられた、という経験も、私にはなかったように思います。ただ、この「違う」という事実が、私に「考える」という行為を授けた重要な要素であったことは間違いありません。私はあの頃から毎日、「なぜ自分だけが違うのか」と考え続けていました。くじ運のないこの私が、どうして「生まれ」といういちばん最初の、一世一代のくじで滅多にないものを引いてしまったのか。それはいまだに答えの見つからない問いであります。

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