2025年3月27日
第18回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞 受賞記念講演
奈倉 有里
ただ、さしあたってそれでも、さきほど言ったような、「平和」を貶める空洞化した言葉、戦争を推し進めるための「平和」という言葉の暴力的な使用例に傷ついたときは、たとえばこんな詩を思い出してほしいのです。第二次世界大戦後のソ連で、レオニード・マルティーノフという詩人が1953年に書いた「平和」という詩です──
偉大な平和!
平和はあまりに 偉大だから
一部の作家たちは 恐れをなして
「平和はただ 一瞬にすぎない
それは 苦悩に満ちた一瞬で
突如として崩れ去る なぜなら
人の生きる目的など わからないのだから」
と語った
あるいは別の 権力者は
「平和とは 馬鹿騒ぎだ
腹に溜まる 贅肉だ」と言った
さらには 弱者を黙らせるため
「平和とは 疫病だ
貧乏人の 口減らしをして
地上を ゆったりと広々とさせるため
流行する コレラやチフスだ
そもそも 平和なんてものは
世界じゅうが 敵対するなかで
生きた標的を狙う 射撃場なのだ」
と 言い放った
だが平和とは ほんとうに そんなものなのか
いや違う!
その 力強い存在は
兵士が 着せられた
軍服なんかには 収まらない
平和は 昔から
つながれた 鎖を砕き
どんな軍用ベルトをも 引きちぎる
なによりも 力強いものだ
遠くから 運ばれてきた戦車など
ぶくぶくと 沈んでしまうだろう
なぜなら 人間の手が 防波堤から海に
戦争そのものを 突き落としたんだから
人々が欲しいのはただ 平和と幸せ
もしいつか 戦争犯罪で処刑された者たちの
二番煎じが現れても
人間が そいつらを葬るだろう
人間が そいつらを葬るだろう
──ありがとうございました。