1979年、東京生まれ。 東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。 同リベラルアーツ研究教育院准教授。 マサチュ-セッツ工科大学客員研究員(2019)。 専門は美学、現代アート。 元々生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。 東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了。 文学博士。 主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)がある。 趣味はテープ起こし。 インタビュー時には気づかなかった声の肌理や感情の動きが伝わってきてゾクゾクします(談)。
「体」という「内なる他者」と、どう向き合うか。 肥大する情報空間の中で身体性が希薄化していく現在、ますます重要度が高まる問いです。 伊藤亜紗氏が近年取り組んでいるのは、障害ゆえに自らの「体」と独自の関係を作り上げてきた人たちの「言葉」を手掛かりに、私たちが自明と思いなしている「自分」とは何か、「世界」とは何かを、根源から問い直す試みです。 未知なる世界認識の可能性に向けて、真摯な探究心とやわらかく開かれた文章で迫る伊藤氏のさらなる展開に期待し、当賞を贈ります。
詩を使って身体を解剖し、機能を開拓する──20世紀最大の詩人ポール・ヴァレリーが夢見た「純粋性」とは何だったのか。 『カイエ』等の膨大な断片から、作品論、時間論、身体論を再構成する作業を通じて、その謎に迫る画期的なヴァレリー論。
水声社 ◆ 版元品切れ
2013年4月刊
私たちは日々、五感からたくさんの情報を得て生きている。 中でも視覚は特権的な位置を占め、人間が外界から得る情報の八~九割は視覚に由来すると言われている。 では、視覚という感覚を取り除いてみると、身体は、そして世界の捉え方はどうなるのか――? 美学と現代アートを専門とする著者が、視覚障害者の空間認識、感覚の使い方、体の使い方、コミュニケーションの仕方、生きるための戦略としてのユーモアなどを分析。 目の見えない人の「見方」に迫りながら、「見る」ことそのものを問い直す。
光文社 ◆ 定価760円 (本体価格)
2015年4月刊
あなたは目をつぶって100メートルを走れますか? 人は外界から得る情報の九割近くを視覚に頼っていると言われている。 しかし、そんな中で目の見えないアスリートはなぜスポーツができるのか。 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の著者がブラインドアスリートの見ている世界に迫る。
潮出版社 ◆ 定価820円 (本体価格)
2016年8月刊
しゃべれるほうが、変。 何かしゃべろうとすると最初の言葉を繰り返してしまう(=「連発」という名のバグ)。 それを避けようとすると言葉自体が出なくなる(=「難発」という名のフリーズ)。 吃音とは、言葉が肉体に拒否されている状態です。 しかし、なぜ歌っているときにはどもらないのか? なぜ独り言だとどもらないのか? 従来の医学的・心理的アプローチとはまったく違う視点から、吃音という「謎」に迫った画期的身体論。
医学書院 ◆ 定価2000円 (本体価格)
2018年5月刊
誰もが自分だけの体のルールをもっている。 階段の下り方、痛みとのつきあい方……。 「その人のその体らしさ」は、どのようにして育まれるのか。 経験と記憶は私たちをどう変えていくのだろう。 視覚障害、吃音、麻痺や幻肢痛、認知症などをもつ人の11のエピソードを手がかりに、体にやどる重層的な時間と知恵について考察する、ユニークな身体論。
春秋社 ◆ 定価1800円 (本体価格)
2019年9月刊
「ふれる」と「さわる」はどう違うのだろう。 わずかな力加減や動きが伝えるものとは何だろう。 接触は、介護、子育て、教育、看取り、性愛まで、さまざまな場面で人と人との関係を形づくっている。 そこにはどんな緊張が生じ、どのように信頼が生まれるのだろう。 言葉や視覚を超えて、触覚の担う意味を問い、身体論のあらたな地平を拓く。
講談社 ◆ 定価1600円 (本体価格)
2020年10月刊